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ブログ&お知らせ

2018.06.21

戦国時代の主役を演じた3名の武将の事業承継について

なぜ織田家、豊臣家は失敗し、徳川家は十五代260年余りに渡って繁栄したか!?
~戦国時代の主役を演じた3名の武将の事業承継について~

 

◇織田信長

信長は本能寺の変で死亡しましたが、そのときの彼の年齢は48歳の誕生日前でした。
その際に嫡男織田信忠も自害しています。
つまり創業者も二代目も突然の死を迎えてしまいました。
さすがの織田信長もこんなに早く自分が死ぬとは思ってなかったようで、
事業承継の準備に万全を期せませんでした。

 

◇豊臣秀吉

秀吉は55歳の時に甥の秀次に家督と関白の座もゆずりました。
しかし、翌年に淀君との間に秀頼が生まれると、
やはり秀頼を後継者にしたいと思い始めました。
その後、秀吉は亡くなってしまいますが、
後継者が十分に成長していないため、
まだ社長となれる器ではありません。
豊臣家にはもっと早めに後継者を決定し、
時間をかけて育成することが必要だったと思います。

 

◇徳川家康

家康は1600年に関ケ原の戦いに勝利し江戸幕府を開きますが、
社長就任はたったの2年です。老中を中心とした組織をつくり、
すぐに後継者の秀忠に社長の座を譲ります。
まだまだ力不足であった秀忠に早々に将軍職を経験させること、徳川幕府を支える組織の仕組みをつくること。
そして自身は駿府に戻り、会長(大御所)として二代目をサポートしていきます。
経営者としての力を身に付けさせてから後継者に承継するという考え方もありますが、
「役職が人を育てる」ということもありますので、
満足に育ってから承継するのではなく、
早期に交代したのちに、自分がしっかりと後見するということも大事なのかと思います。

 

 

 

現代の日本においても事業承継の失敗は、
現社長の予期せぬ事故や後継者育成の遅れが多くを占めています。
時代は違えど徳川幕府のように将軍交代のルールづくりや
組織で経営していく方法も企業永続の一つの方法かと思います。

 

ただ、いつの時代もカリスマ創業者の持つ感性、決断力、実行力、求心力、
これらを背景とした圧倒的なトップダウン経営は、
徳川型の組織経営には無い勢いがありますね。

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